案内係やーぼのブログ

コンサートホールで案内係をしている著者が、出演者・聴衆・スタッフの思いが響き合い乱反射する、劇場の魅力を語ります。

「お前なんか」とか「どーせ」とか聞き飽きました


■お前なんか

「お前なんか」と言われたことはありますか?あるいは、言ったことはありますか?

私は、小さいころからいろいろな人に「お前なんか」と言われてきました。

・お前なんか何の価値もない
・どうせお前のやっていることなんか、大したことじゃないだろ
・お前には無理だ
・お前はバカだ
・お前なんかこの先生きていて何になる
・お前らのやっていることなんか、どーせ○○だろ

子供の頃も大人になってからも、こんな言葉を投げつけられるたびに悲しい気持ちになった。

私が存在している意味や価値、理由を問われても、私には分からない。そもそもそんなことを問うことに意味なんてないし、結局彼らは何を問いたかったのだろう?

お前なんか
お前らなんか

おめえなんか


■少し話は変わりますが、

何だろーなー、この言葉には「あなたには無理ですね」とは違うニュアンスが感じられるのですよ。ほかの国にもあるのかな、少なくとも英語に訳すのは難しい。「お前」という言葉がどうのと言うより、否定されてるのが嫌だというのは、もちろんある。

だけど、親子ほど年が離れているであろう中高年の男性から「お前」とか「おめえ」と言われるのは、違和感がある。また、コンサートホールのような美しく荘厳な雰囲気の中で、そこで働くスタッフを「お前」と呼ぶ感覚が私には分からない。(もちろんほかの職業の人がそう呼ばれてもいいということではない)

それと、自分の奥さんの前で、私のことを「お前」「おめえ」と呼ぶ人もいるけれど、その感覚もよく分からない。私のパートナーがもし、若い女性のことを「おめえ」と呼んだのを聞いたら、何だこの人と思って引くと思うので、それを容認している奥さんの気持ちもよく分からない。

なんでだろう?

この私の感覚はどこから来るのだろう?世代の違いなのか、地域の違いなのか、教養の違いなのか。

とにかく、どんな理由があろうと、不快に感じる。こんな言葉を自分の辞書に持っている人と多く引き寄せてしまう悲しさをどう説明すればよいのか。

「お前なんか」って何?自分が見下す多くの「お前なんか」に支えられて生きているのですよ、あなたは。どんだけ自分がえらいと思っているか。お前なんかと言われ続けていると、本当にお前なんかになってしまうよ。

「お前なんか」「お前」という言葉に敏感になっている私の愚痴でした。