案内係やーぼのブログ

コンサートホールで案内係をしている著者が、出演者・聴衆・スタッフの思いが響き合い乱反射する、劇場の魅力を語ります。

過去生:ヨーロッパの孤独な家庭教師

■ヨーロッパのどこかで家庭教師をする

私は、ある時代、ヨーロッパ(ドイツ、ハンガリー周辺)の田舎のお城に住んでいた。

大きな窓から見えるのは、森で、崖のようなところに建っているような感じ。

私は、そこで、家庭教師兼相談役として、働いていた。自分の部屋を与えられて、きちんとした良い服を着て、格の高さを感じる装い。

私は、15.6歳の頃ほかの地域からこの場所に連れてこられた。私は、とても知的で美しかったため、選ばれたのだ。

木で作られた貨物列車のようなものに乗ってここへ来た。その時も白い長袖のワンピースを着て、帽子をかぶり、荷物は、四角いカバン1つ持っていた。

私は、そのお城で、その家のお嬢さんに勉強を教えていた。その子は、ブロンドの金髪で、お人形さんのようにかわいくて、おとなしく、熱心な子だった。小学2.3年生くらい。

そんな仕事をしているうちに、その家の家族の相談役もするようになった。その時の私は、30歳くらい。青いベルベットのドレスを着て、カメオを付けていた。普段は、出入りをすることのない、部屋に行き、私は、自分が認められていると感じ、嬉しかった。


私は、その服がとても気に入っていた。

結婚はしていない。

私にとって、その城はとても居心地がよく、素敵な装飾の部屋、家具、美術品、そのすべてが好きだった。

■城との別れ

しかし、私は、その場所を離れなければいけない出来事が起きる。何者かにその城が襲われてしまったのだ。どんな理由は分からない。とにかく、そのお城に居たら、城が破壊され、私たちも無事では済まない。そういう事態が近づいていた。

私は、逃げるつもりはなかった。

なぜなら、私は、その城から出たことはほとんどなく、価値のある建物や家具や、美術品、そして、今の仕事を失ってまで生きる意味を見出せなかったから。

しかし、そんな私も結局は城を後にすることになる。

その理由は、私のお世話係にあった。彼は、背が高くならない病気で、軽い知的障害があった。自分のことを醜いと思っており、いつも隠れるように生活していた。彼は、私をしたっていたし、私も彼を大切にしていた。

私が、この場所を離れなかったら、その人もこの場所を離れない。そうすれば、必然的に城と運命を共にすることになる。

私は、彼に生きてほしいと思った。

ある真夜中。私達は、秘密の地下通路?を通って、外へ逃げることにする。

私は、先ほどの青いベルベットの服に、黒いマントを着て、左手にろうそく台においた ろうそく、右手には、その人の手を引いて、歩いていた。

誰にも見つかってはならなかった。

張り詰めた、様子でずんずん進んでいた時、ふいに誰かに声をかけられた。暗くてよく分からなかったが、自分より、背が高い男性だと分かった。

■田舎での日々と葛藤、無気力

私達は、その後どうしたのかは分からない。

しかし、次の場面で、私はその男性と一緒に暮らしていた。正式に結婚はしていないが、夫婦のようなものだった。32~35歳くらいだと思う。

田舎の農村で、白い壁の小さい家に住んでいた。その家には、簡素なベットとパンなどを焼くレンガでできた窯、木でできた机といす。

必要最低限のものがそろった、質素な家だった。

私の感情は、無機質なものだった。私は、素晴らしい、芸術的な城や家具、美術品、服、職業、そこに住む人々が好きで、そこで一生過ごしたいと思っていた。離れたくなかった。

 

なのに、そこから離れなければならなくなり、質素な服と家で過ごし、自分の教養はこの生活では何の役にも立たなかった。

お手伝いさんはどこへ行ったのか分からない。もしかしたら一緒に住んでいたと思う。私を連れてきた男性は、私のことをとても大切にしてくれた。

その人は、城に出入りしていた業者だったようで、窓際にいる私のことを見て知っていたようだ。そして、城に危機が迫っていることを知り、私を助けようとしてくれたのだ。

彼が、なぜ、あの通路のことを知っていたのかは分からない。そして、なぜ、あの日、あの時、あの時間にあの場所にいたのかも。

彼は、農民ではないようだった。ほかの町と交渉をしたり、どんな仕事をしているのかはよく分からなかった。

私は、こんなところで何をしているのだろう?という空虚な気持ちで過ごしていた。生きることに意味を見出せなかったのだ。

あの場所で、私を支えていたものは、今の私には何の意味もなくなってしまった。

■パートナーとの別れで気づいた本当に大切なこと

しかし、また、私はある転機を迎える。私を助けてくれたパートナーが亡くなったのだ。私は、その時すごく後悔した。

私は、ずっと孤独に生きてきた、愛とは何かよく分かっていなかったのだ。私は、その時、どれだけその人に愛されていたかを知った。

しかし、その時はもう遅かった。彼はもういないのだ。私は、の人の死を受け入れることができず、後悔のあまり混乱し、毎日泣いて過ごした。


私はそれから、あることを思うようになった。

もしも、来世で、再びその人に会うことがあったら、すべてをかけてその人の愛を受け入れますと。

私は、その後も長く生きて、シニアになってから息を引き取る。穏やかな気持ちだった。