案内係やーぼのブログ

コンサートホールで案内係をしている著者が、出演者・聴衆・スタッフの思いが響き合い乱反射する、劇場の魅力を語ります。

去られるためにそこにいる 新人指導で思うこと

 




あ、、、いない。


と思うことがある。


今ままで、ずっと私が手を引いて、教えて、手伝いながら、育ててきた人が、ふとした瞬間、その能力を獲得して、自立していく瞬間が見えるときがある。

私達は、節目節目に七五三とか入学式とか卒業式とか、成人式とか、結婚式とか、引っ越しとか、旅立ちの儀式があり、そのたびに、その人の成長や自分との距離間の変化に気づいたりする。

でも、その人の成長や何かから旅立っていく瞬間は、盛大な儀式が行われる時ばかりではない。

本当の旅立ちは日常のほんのちょっとしたところに表れるものだ。

私は、そういう瞬間を感じることが多々ある。

例えば、新人さんが入ってきて、初めは、ほとんど何も分からなくて、できなかった。それを、私が自分の時間を割きながら、頭をひねって教え、手伝い、時にはその人の分まで働き、励ましながら歩んできた。

しかし、ある時を境に、その人は、仕事を覚え自分で考えて行動し、その人にしかない発想や経験値を発揮して、その場を回していけるようになる。

すると、一緒に仕事をしているし、特に節目となるようなセレモニーがあるわけでもないけれど、ふとした瞬間に、私の手を離れていったんだなと思って、無性に切なくなることがある。

それはいいことだ。

そこに来るまでは大変なこともたくさんあった。その人が成長できるように、育てることが大切で、いつまでも「私がいないとダメなんだから」などと、言っているような上司や先輩は、無能だとさえ思っている。


去られるためにそこにいる。私は、その一時の補助輪にすぎない。


私は、仕事柄、自分よりも年上の人を新人として迎えることも多くある。だけど、年齢は関係ない、やっぱり自分が手を引いていた人が、巣立っていく感覚が起きる。

私のように、教育の分野に興味がある人にとって、大変であっても人を育てているときが一番、充実しているのかもしれない。

私は、自分の子供を育てたことはないけれど、もしかしたら、子供が巣立った後に心が寂しい感じがする人は、そういう感覚を持っているのかなと感じている。

どうだろう?

 

ya-bo.hateblo.jp

 

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