案内係やーぼのブログ

コンサートホールで案内係をしている著者が、出演者・聴衆・スタッフの思いが響き合う、劇場の魅力を語ります。

ステレオタイプ 剣道部だった時の違和感について

■ステレオタイプ

「女を捨てろ」

私は、中学、高校と剣道部に所属していました。
こんな風に言うと、驚く人は多い。

私は、おとなしい雰囲気を持っているからかもしれません。

今日は、その時から持っていた違和感についてお話します。

私が、剣道部に所属していた時、よく「女を捨てろ」という言葉を耳にしました。剣道では、大きな声を出したり、相手にぶつかっていったり、激しい側面があります。

そのため、積極的な姿勢が求められたおとなしくしていてはできないという意味だったと思います。

でも、それなら、「もっと大きな声で」とか「相手におびえなくていい」とか別の言い方でも、伝わると思います。

「女を捨てろ」の「女」には、女性は謙虚で、つつましくあるべき、または弱弱しいものだというステレオタイプの考えが強く反映されていました。

手放すべきものは、女性性ではなく、恐怖心やもっとほかのもので、男性だからといって技術的に劣っていれば、やはり、堂々とふるまうことはできない。

女性が大半を占める職場で働いていると、女性かどうかという観点は、なくなり、その人のもつキャラクターはどうかという観点で見ていると思う。

その人が、内向的な性格であろうと外交的な性格であろうと、求められているスキルや態度は同じで、それに対して、その人のキャラクターをどう生かしていくかが問われるからです。

フリフリのファンシーな服が好きな人もいる、ラフな服が好きな人もいる、メタルな服が好きな人やセクシーな服が好きな人も、でもコンサートホールでは、制服や服装が定められていて、その時は、まるで、私生活までそうなのではないかというほど、コンサートホールにふさわしいとされるキャラクターを演じている。

だからと言って、その人の趣向や性格を捨てさせることなんてできないし、捨てる必要なんてない。

部活動での「女を捨てろ」発言は、部活動の時だけ限定で、という意味で言っていたのだと思う。

なぜなら、一方でステレオタイプの女性らしさを求められることもあったから。

でも、自分のキャラクターではなく、ステレオタイプのいわゆる女性を捨てろと言われ続けて、それがよしとされていると、だんだんと、異性や恋愛に興味がないことや、かわいい服装をしないことがよいことのような気がして、本来の自分ではない自分を日常生活すべてに渡って演じるようになり、自分が分からなくなった。

そもそも私は、見た目はおとなしい印象を与えがちですが、芯は人並み以上だと思っています。

そうでなければ、暴力の対象になりやすい今の職を全うすることなんてできませんし、言葉の通じない海外のアーティストやスタッフと対等に接していくことなんてできないと思います。

後ろ盾のない、フリーランスとして働くには、批判を承知で、自分の意見を自分のこととして伝えていく必要がありますし、いつもパラシュートなしで飛び込んでいる感じです。

それができるのが、剣道部での経験があったからだと思う人もいるかもしれませんが、それは違うかな。なぜなら、私に困難を乗り越えてやり遂げるという、意思がなければ、そもそも入部していなかったからです。

今でも、いわゆる女性らしいといわれるものに抵抗があるのは、この時の経験からきているのではないかと考えています。