4級合格と、消えない記憶
手話技能検定4級に合格しました。
昨年末から、私は少し手話と距離を置いていました。
そのため今回の受験は、強いモチベーションに突き動かされたものではありませんでした。
昨年、ある仕事を離れてから、生活の中で手話を使う機会はほとんどなくなりました。
あんなに週2回教室に通い、毎日のように本や動画をむさぼり、スタッフと勉強会まで開いていた日々が、まるで嘘のように感じられます。
あの頃の私たちは、決して恵まれた環境にいたわけではありませんでした。
熱心に勉強すればするほど、「手話なんて使えないくらいでいいんだ」という冷ややかな視線にさらされ、煙たがられることもありました。
それでも努力を続けられたのは、ただひとつ。
劇場へお越しくださるお客様を、少しでも快適に、最高のかたちでお迎えしたいという思いがあったからです。
それは、祈りに近いものでした。
役に立たない、けれど「無」にはならない
仕事を離れた今、手話を続けても、すぐに何かの役に立つわけではありません。
正直に言えば、いまの私は「宙ぶらりん」です。
これから先、勉強を続けるのかどうかも、まだ分かりません。
それでも今回、久しぶりに手話に触れたとき、ふと気づいたことがありました。
以前よりも、読み取れる範囲が広がっている。
そのことが、純粋に「楽しい」と感じられたのです。
ハードルが高いと思っていた4級に合格したいま、ひとつ確信しています。
積み重ねてきたものは、決して「無」にはなっていませんでした。
言葉にならない「相槌」を交わす喜び
なぜ、仕事と直接関係がなくなった今も、私は受験を選んだのか。
それはきっと、手話を通して聴覚障害の方と気持ちを通わせた、あの「体温」のような感覚が、今も身体に残っているからだと思います。
筆談だけでは伝えきれなかった、ささやかな相槌。
会話と呼ぶにはあまりに小さなやりとりが、確かに通じたと感じられた瞬間。
ぼんやり過ごしていたら見落としてしまうような、ミクロな心の触れ合い。
つたない手話でも、お客様をご案内できたときの、あの震えるような喜びを、私は忘れることができませんでした。
私は、人とのつながりを求めている
「もっと多くの人と会話をしたい」
その願いは、効率や損得とは別の場所にあります。
たとえ手話がなくても生きていくことはできる。
けれど、あの「通じ合った瞬間」を知ってしまった私は、もう、人とのつながりを諦めることはできないのだと思います。
検定の結果は、あくまでひとつの目安に過ぎません。
スローステップでもいい。
「誰かと繋がりたい」というまっすぐな願いを、これからも大切にしていこうと思う。