人は、お金だけでは動かない。

お金は大事だ。
生活があるし、稼げなければ生きていけない。それは当たり前のこと。
でも、仕事を受けるかどうかを、私は金額だけで決めていません。
実は、利益をほとんど度外視している仕事がいくつかあります。
これは、フリーランスの方なら分かるのではないかと思います。
「その公演に携わりたいか」
「その劇場で働きたいか」
「その人たちと、面白いことがしたいか」
こんな基準で、私は仕事を選んでいます。
往復に2時間、いや3時間近くかかっても、
自分を成長させてくれるなら、赤字でも、ボランティアでもやる。
特に、有名でも何でもない今の私に、
「大切な公演を一緒に作る仲間になってほしい」と直接声をかけてくれた人の依頼は、
迷わず受けると決めている。
まだまだ、実績のない私に、勇気を持って声をかけてくれた。
その覚悟に、応えたいと思っていたから。
一方で、人は「記号」として扱われた瞬間に、心が離れていく。
人を頭数としか見ていない人に、「人が集まらなくて、困っているから助けて」と言われても、
正直、「知らんよ」と思ってしまう。
だから私は、目の前の人を、人として扱う。
名前を呼ぶ。挨拶をする。
仲間に差し入れをするとき、端々の人にも生き渡るようにすること、
そして、
熱を込めてメッセージを添えるのもそのためだ。
「何を渡すか」よりも、
「あなたを人として見ている」と伝えたいからだ。
私には、人の給料を上げたり、立派な肩書きを与えたりする力はない。
自分自身にも、人をはっとさせるような肩書きや権限はない。
それでも、
「あなたがやるなら一枚噛みたい」と言ってくれる人がいる。
私は、感情を動かすことしか、訴えられるものを持っていない。
だけど、人は最後、感情で動くのだと思う。
誰かに助けてほしいと願うなら、
お金ではなく、人の感情に届かなければ難しいと思う。
逆に大きなお金が動かせるなら、お金で人動かすのはありだと思う。でも、その時に少ない金額ではだめだ。だから、人をお金で動かそうと思ったら、多額の金が必要になる。
誰かに助けてほしいと願うなら、
お金か、感情か、どちらかを差し出す必要があるのだ。
私が「人が集まらないから助けて」と言われて、「知らんよ」と思った人たちは、感情もお金もどちらも出さないけど来てと言うような人たち。
その場合は、むしろ「知らんよ」でいいと思う。