劇場の言葉シリーズ
お客様に「遅刻者」のレッテルを貼っていませんか?
開演時間を過ぎて劇場のエントランスに入ってきた来場者にスタッフがよく言う
――「もう、始まってしまいましたので…」という一言の違和感
劇場やコンサートホールの扉の前。
開演予定の時刻を過ぎて到着したお客様を最初にお迎えするのは、私たち案内係の言葉です。
そこでよく耳にする、ある「決まり文句」があります。
「もう、始まってしまいましたので……次ご案内までロビーでお待ちください」
スタッフ側に悪気はないのかもしれません。
マニュアル通り、あるいは「事実」を伝えているだけのつもりかもしれません。
けれど私は、この言葉を聞くたびに、胸の奥にざらりとした違和感を覚えるのです。
「宣告」という名のコミュニケーション
「始まってしまいました…」という言葉。
これは、無意識のうちに
「話し手の時計」を正義とし、「聞き手の遅れ」を非とする宣告
になってはいないかと。
必死に仕事を切り上げ、渋滞を抜け、ようやく劇場の扉に手をかけたかもしれないお客様。
その方が、その瞬間に突きつけられるのは「あなたはルールから外れた」という冷たい事実です。
「あなたは遅れてきたのですよ」
「あなたは損をしましたね」
言葉の裏側に潜むそんなニュアンスは、これから始まる非日常への期待に、一瞬で冷や水を浴びせてしまいます。
劇場は「断罪」の場ではない
そもそも、公演は娯楽です。
人生を豊かにするためのものであり、修行でもなければ、遅刻を咎められるべき場所でもありません。
それなのに、まるで「ミスをした人」のように扱ってしまうのは、案内係として、あるいはお客様をお迎えする立場の人としてどうなのかと思うのです。
「ただいま一曲目を演奏中です」
私は、遅れていらした方にはこうお伝えするようにしています。
「ただいま一曲目を演奏中ですので、次のご案内までこちらでお待ちください」
あるいは、終演間際であれば、
「あと一曲ございます。ぜひ最後までご覧ください」
たとえ本編が終わっていたとしても、
「このあとカーテンコールがございます」
「アンコールがあるかもしれません」
と、常に「これから始まる価値」を手渡したいと考えています。
あなたのための物語はこの瞬間から始まる
「始まってしまいましたので…」は、過去を起点にした
「終止符」。
対して、
「演奏中です」
「まだございます」
は、今と未来に焦点を当てた
「接続」。
遅れて到着した方の申し訳なさや焦りを、言葉のクッションで受け止め、スムーズに物語の世界へといざなう。
それが、案内係だからこそかけられる「橋」だと考えています。
お客様を「遅刻者」として扱うか。
それとも、今この瞬間から始まる「物語の登場人物」としてお迎えするか。
私たちが無意識に選んでいるその一言が、その方の劇場での体験の豊かさを決めていると、私は信じています。
「どんなに遅れても、劇場の扉を開けた瞬間から、あなたのための物語が始まる」
その物語の入口に立つ私たちは、
どんな言葉で、お客様を迎えるのでしょうか。