どうしても、どうしても踏み出せないことがある。時間だけが流れて、私の手のひらから落ちていくのが分かる。
人生は短い。若い時間はさらに短い。
分かっている、分かっているけれども、踏み出せないのだ。
時間を無駄にしている。たくさんの時間を無意味に過ごしてしまった。もっと、効率よく動かなければいけないのに、動けない。
動きたくないから、動けない、動かないだけだという人もいるかもしれない。
そうだと思う。私は、動きたくないのだ。早く時間が流れて、人生の最後の日が来るのをただただ待っているのだと思う。
それが正しいように感じる。
この世の中には、才能のある人と、ない人がいて、初めから決まっていて、才能のない人は、人生の最後の時間までの時間は無意味だと言う人がいる。
本当にそうなのか。
意味があるとかないとか、そんなものは、その人がつくり出した個人的な概念でしかない。その人は、その人の世界の中で生きているのだ。
私は、現実なのか非現実なのかよく分からない、あいまいさが好きだ。
みな本当は、現実を生きているわけではないと思う。私たちが現実だと思っているもののほとんどは現実ではない。
だから、それが現実だと思って生きていると苦しくなる。ほかの人には、ほかの人の現実があるのだ。だから、同じ物事を見ていても、見えるものが違ってしまう。
現実なのかそうでないのか、そのあいまいな感覚の中にいると、私たちは分かり合える気がする。
ここには誰もいない。だけど気配を感じる。不気味さ。
だけど、現実という枠組から、誰かを追い出そうとしている人の狂気じみたものの方が、恐ろしい。あなたには生きる意味がない、とか簡単に言う人の方が。
存在なんて、誰かが否定するものではないのに、そこに意見してくる人を見ると神にでもなったつもりか?と思う。
存在価値なんて、みな誰しもあいまいなものだ。時に移ろい、濃度がグラデーションのように変化する。それでいいし、みんなそうだ。
私は、あいまいなまま生きていく。そして、はっきりしないまま時間だけが過ぎるだろう。現実の世界にいるのが疲れた。もっと、存在すら揺らぐくらいあいまいに生きていきたい。
どうだろう?