案内係やーぼのブログ

コンサートホールで案内係をしている著者が、出演者・聴衆・スタッフの思いが響き合う、劇場の魅力を語ります。

【ボランティアスタッフ】スタッフのクオリティーと妥協点について考える

■ボランティアスタッフ

コンサートやイベントでは、ボランティアスタッフが無償でサポートしてくれることがよくあります。場合によっては、スタッフのほとんどがボランティアや学生というケースもありますし、専門のスタッフがいるホールでも、主催者がボランティアを依頼することがあります。

例えば、障がいのある方が多く来場する公演で手が足りない場合や、予算の都合でプロのスタッフを全員雇えない場合、また企業の社員が自社のイベントをサポートする場合などです。

そうした場面では、無償で関わってくださる方々が「この公演を盛り上げたい」という思いで集まってくれているのです。

ボランティアスタッフは非常に積極的でやる気に満ちています。彼らの存在が公演を支えているのだと、改めて感じることも多いです。

◼️ボランティアの課題

しかし、ボランティアにはいくつかの課題もあります。言いにくいことですが、彼らはプロフェッショナルなスキルや統率力を持つ集団ではないことがほとんどです。

そのため、施設や座席の案内ミスやその場にそぐわない大きな声での呼びかけ、演奏中の不適切なタイミングでの案内などが起きることがあります。

進行がうまくいかないときや大きなトラブルに発展した場合、誰が責任を取るのかという問題も浮上します。

「みんなで作るコンサート」のような趣旨のイベントであれば、ボランティアの不慣れな点も含めて楽しむことができますが、シビアに能力が求められる場面では、彼らとの向き合い方に悩むことがあります。

■無償でのサポートに期待する限界

無償で働いている以上、どこまで指摘できるのか。案内係は、資格が必要ないという面で、誰でも出来る仕事です。しかし、当然ですがこの仕事を生業としている人とそうでない人との間には雲泥の差があります。

プロとは違う背景を持つ彼らに対して、求める水準が合わないことも多いです。

ときどき、専門のスタッフと協力しようとせず、「私たちはスタッフですから!」と言って、立入禁止の場所に勝手に入ろうとしたり、指定席なのに適当な席に座って鑑賞していることがあったりします。

また、この仕事は、やっている感をアピールすることではないのですが、彼らにとっても一種のイベントになっているなと感じます。

やりたい、やりたい、に陥っているうちは職業体験と変わりないです。

そんな時「組織」と「集団」は違うと思います。

彼らのスキルや行動が期待からほど遠い時、私が責任者で全てを任されているなら、レクチャーを行ったり、事前に対策することもできますが、同じ立場というポジションで活動するのは難しい。

なぜなら、スキルが一定のレベルでなかったとしても、そもそも本職ではありませんし、対価をもらわずに活動しているのです。

お客様はお金を払って、このコンサートを楽しみにいらしています。にもかかわらず、何の訓練も受けていない上に経験もない、もしくは浅い。それを分かっていて無償で働いてもらっているのですから。

その人に対して、どれほどものが言えるかというと・・・言えないな。(たとえどんなに自分の負担が増えたとしても…)

逆に自分がボランティアとして活動しているとき、本職に比べて能力が劣っていると指摘されても、やっぱり本職じゃないしなと思います。それは、やる気がないとかではなく、本職はその訓練を受け、それを提供することで対価をもらっているからプロなのであって、それが、昨日今日それをやり始めた人と大差ないか、むしろ低かったら、問題ですよ。

もし、どうしても失敗したくないと本気で考えているなら、費用がかかってもプロにお願いするべきです。にも関わらず、同じクオリティーで費用は押さえたいとは、都合がよすぎます。


■進行のクオリティーを妥協する

進行のクオリティーを確保したいという気持ちはあります。そして、当然ですが全力を尽くしています。しかし、ボランティアスタッフが関わる以上、ある程度の妥協も必要です。無償でサポートしてくれる彼らに対して、プロと同じ水準を求めるのは現実的ではありません。もちろん、お客様はチケット代を払ってコンサートに来場しているので、その期待に応えるために、どこまで妥協するかという判断は非常に難しいです。

ボランティアの力を借りることは、コスト面では大きな助けになりますが、その分、クオリティー面の妥協を受け入れる覚悟が必要です。

みなさんはどう思いますか?